

本当に久しぶりにUPします。前回2019年9月以来の書き込みです。
新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大で自宅待機・テレワークと時間的に余裕ができたので再々スタートといたします。再々スタートを決意したときに 志村けん さんが亡くなるという悲報が入り驚きと悲しみが交錯しさすがに落ち込んでしまいました。志村けんさんの死で改めてコロナウイルスの怖さが身近に感じたニュースでした。私は「八時だよ全員集合」の時代から笑わせていただいた世代の人間であり本当に悲しいお知らせでした。
志村けん さん、心からお悔やみ申し上げます。私たちに笑いを提供していただき本当にありがとうございました。天国へ行かれても笑いを提供していただければと思います。
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なかなか更新ができなかった自分ですが、中途半端に終息してしまうのも自分として納得できないところもあり途切れかけたブログを続けようと改めてスタートいたします。
今回は、Jack Purcell ⑤ということで書きこみました。
Jack Purcell を語るに PF Flyers を語らずに進められません。
1933年、発明者のハイマンL.ウィットマンとキャンバススニーカーのパイオニアである B.F. Goodrich は、「Posture Foundation」アーチサポートインソール の特許を取得し、靴に新しいテクノロジーを追加し始めました。Posture Foundation を備えた B.F. Goodrich スニーカーは、1937年に単に “PF” として知られるようになりました。1935年、カナダのバドミントンプレーヤーであるジャックパーセルは、キャンバスとゴムでできたバドミントンシューズを B.F. Goodrich 用にデザインしたのです。
1960年代、PFはアメリカで最も人気のある靴の1つになり、販売されたすべてのキャンバススニーカーのシェア20%保持しましたが、70年代前半にはいりシェアを落としたようです。
ご存じのように CONVERSE、Pro-Keds のシェア争いまた新興の Nike やヨーロッパのブランド Adidas、PUMA が伸びてきたのでしょうね?
50’s、60’s 頃のスニーカーのヒールパッチ、インソール等を写真で紹介します。また、当時の広告の内容を紹介します。子供向けのスニーカーも力を入れていたようでミッキーやかわいい動物のキャラクターで紹介しています。


B.F. Goodrich がスニーカーブランド PF Flyers のシェアを落としたことで靴業界を諦めたのでしょうね?1972年、コンバースの親会社であった Eltra Corporation が B.F. Goodrich からPF Flyers ブランドを購入したのです。がしかし、これは靴市場の独占を生み出し、2つのブランドは独占禁止法訴訟のために分割されてしまったのです。どちらの会社も1975年に最終的に売却されました。
その後、PF Flyers は1975年から2000年にかけて休眠状態になり、あいまいになりました。両社の分割および販売にもかかわらず、コンバースは PF Flyers の買収からの Jack Purcell ライセンスの権利を保持しました。Jack Purcell のスニーカーは、CONVERSE の名前でリブランドされ、現在も生産されています。
2001年、New Balance は PF Flyers を購入し、2003年にブランドを再開したのです。
PF Flyers の簡単な歴史の説明が下記のサイトで紹介されています。
https://www.pfflyers.com/our-story/
次回、B.F. Goodrich の Jack Purcell から CONVERSE の Jack Purcell の変化の紹介します。
また、1975年 PF Flyers とCONVERSE が売却されたのですが、その時に一時的なスニーカーブランド PF Industries Inc. について少し述べたいと思います。